<ruby>車<rt>や</rt>山<rt>ま</rt></ruby>とからくりとからくり

犬山祭の華・とからくり

華やかなが古い町並みを巡行することで有名な犬山祭は、針綱神社の祭礼として寛永12年(1635)に始まったと伝えられています。祭りに参加する町内は、犬山城下の針綱神社の氏子域からで、現在は13町内から出されるのほか、3町内から練り物が出され、計16町内が参加しています。13輌のは、昭和39年に愛知県有形民俗文化財に指定され、犬山祭の行事は、平成18年に国の重要無形民俗文化財に指定されています。

町内別とからくり

各町内別画像をクリックして頂くと詳しい解説をご覧いただけます。

枝町の<ruby>車<rt>や</rt>山<rt>ま</rt></ruby>・からくり人形 魚屋町の<ruby>車<rt>や</rt>山<rt>ま</rt></ruby>・からくり人形 下本町の<ruby>車<rt>や</rt>山<rt>ま</rt></ruby>・からくり人形 中本町の<ruby>車<rt>や</rt>山<rt>ま</rt></ruby>・からくり人形 熊野町の<ruby>車<rt>や</rt>山<rt>ま</rt></ruby>・からくり人形 新町の<ruby>車<rt>や</rt>山<rt>ま</rt></ruby>・からくり人形 本町の<ruby>車<rt>や</rt>山<rt>ま</rt></ruby>・からくり人形 練屋町の<ruby>車<rt>や</rt>山<rt>ま</rt></ruby>・からくり人形 鍛冶屋町の<ruby>車<rt>や</rt>山<rt>ま</rt></ruby>・からくり人形 名栗町の<ruby>車<rt>や</rt>山<rt>ま</rt></ruby>・からくり人形 寺内町の<ruby>車<rt>や</rt>山<rt>ま</rt></ruby>・からくり人形 余坂の<ruby>車<rt>や</rt>山<rt>ま</rt></ruby>・からくり人形 外町の<ruby>車<rt>や</rt>山<rt>ま</rt></ruby>・からくり人形

練り物

犬山祭は、今でこそを中心とした祭礼になっていますが、祭りが始められた当初は、練り物と よばれる趣向をこらした作り物や仮装などの行列が祭礼を賑わしていました。その伝統を3町内が現在まで引き継いでいます。
犬山祭は当初の練り物を一部に残しながら、パフォーマンス主体の練り物の祭りから、次第に造形物主体のの祭りへと発展してきたのです。

-坂下大本町-

犬山祭 坂下大本町の練り物

日本の祭の原点といわれる「練り物」の一種で、今に伝わる貴重な伝統である。一六五八年より、呉服を背負って行商する姿の「聖ひじり」の練り物を出した。一八世紀から一九世紀中頃までは三人の聖が参列していたことが 知られるが、その後、いつからか小母衣に変った。現在は、五人の子供がかわいい武者姿に小母衣を背負って参列している。

Koboro(Sakashita Daihoncho Precinct)

The Nerimono procession, which is said to be the origin of Japanese festivals, is a very valuable tradition. In 17th century 3 men disguised as monk who are selling clothes and participated in the procession. Now 5 boys participate in the procession carrying koboro on their backs.

おお-鵜飼町-

犬山祭 鵜飼町の練り物

以前はをもっていた町内だが、町名から推察できるように木曽川沿いの坂下に位置するため、上町まで部材を上げてから組をしたと伝えられる。 一七一四年からはに代って大母衣武者五人の練り物となり、一九世紀後半まで続いたものの幟一本だけとなっていた。一九九八年に、岐阜県加子母村の協力により大母衣が復元され、再び参列している。

Ohboro(Ukaicho Precinct)

At fi rst, this precinct had a yama, but in 1714 the yama changed to the fi ve Horo Samurai procession. In the latter part of the 19th century, only a fl ag was carried. In 1998 it became the current style, of only one person carrying a very big "Horo".

子供競子「餌刺・鉄砲組」-内田-

犬山祭 内田の練り物

犬山祭が始まった頃は、「馬の塔」を出していたが、その後幾多の変遷を経て、十八世紀中頃に現在 の形として「殺生人(せっしょうにん)」に代わった。 武者姿で腰に脇わき差ざしを差し、手に鷹の餌の小鳥を捕らえるもち袋と竿を持った餌刺組と、鉄砲を担ぎ腰に印籠宦(いんろうかん)を差した鉄砲組の八人が内田組の「幟(のぼり)」に先導されて「餌刺(えさし)・鉄砲組(てっぽうぐみ)」参列している

Kodomokeigo (Sesshonin)(Uchidacho Precinct)

At first this precinct participated in procession with a decorated horse. This changed in the 18th century. Their contingent now represents a lord' s hunting troops. Precinct 8 children dress as hunters with rifles, and bird catchers with bamboo poles and other paraphernalia.

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