担い手の声担い手の声

担い手の声
続・犬山祭を愛する祭人の皆さんへ
続・犬山祭を愛する祭人の皆さんへ
今年の犬山祭はコロナウィルスのパンデミックのため車山行事(やまぎょうじ)は中止になりましたが、4月5日本楽祭の日、午前11時から針綱神社本殿で祭祀が滞りなく行われました。針綱神社宮司と愛知県神社庁(神社関係の上部組織)の祝詞(のりと)が奏上され、針綱神社総代、奉賛会に続いて犬山祭保存会を代表して私が玉ぐしをささげ、ご祭神に祈祷しました。針綱の祭神オワリハリネノムラジは3世紀、ほぼ旧丹羽郡に当たる邇波国(にわこく)という部族国家の長であり、針綱神社東北1キロ地点の白山平にある東之宮古墳に埋葬された人物です。我々の先祖は1800年以上の昔から、きっと今日のような祭祀を古墳のまわりでやっていたことでしょう。先祖をしのび、故郷の安寧を願う祈りは、この日の祭祀をもって確実に継承されたと考えます。
とはいえ、この日針綱神社前の桜並木は満開、これ以上ないのどかな春日和に恵まれたにもかかわらず、祭囃子や祭人の歓声が風に乗ってゆく恍惚の世界が消え、至福の時間が無為に過ぎ去る焦りのような感覚に襲われました。犬山祭保存会を代表して私一人祭祀に臨みましたが、神社には若い祭人が大勢駆けつけ、拝殿外から祭を愛する気持ちと中止になった不条理さが沈黙のうちに伝わり、目頭を押さえました。
一般的に、「お祭」と呼ぶ行為は「神事」と「神にぎわい」に分かれます。神事は今日の私が参加したような、神職関係者だけでいわば地下水のように祭の魂を継承します。神にぎわいとは、直会(なおらい)で、神にささげた供物のおさがりを受け、「神人和楽」神と人が一緒になって飲み食いしながら、みんなでどんちゃん騒ぎを楽しむ行為です。車山行事を取りやめたということは、科学的知見に立って濃厚接触を避けたということですが、先祖や大自然の恵みに対する感謝と畏敬の念は祭祀として途切れることなく継承した形になりました。
ところで、日本人の人生観の岩盤には天罰という一種の抑制の倫理があります。自然の偉大さや、先祖への畏敬の念は理屈を超え、ひれ伏すに値するものです。その則(のり)を超える気持ちが天罰であり神の警鐘ではないでしょうか。ですからすべての日本の祭は神の偉大な力にひれ伏し、神の偉大な力に祈るのです。
今回のコロナウィルス厄災は不条理との戦いです。が、日本の祭の祭祀が持つ脈々たる継承力には、不条理も一つの条理と考える不条理の条理みたいな、大きな哲理を感じます。
天とつながれ、大地とつながれ、地域の人たちとつながれそして、助け合い、支えあう共感の中に生きよ、という犬山祭の神の声を聞きました。
その声を皆さんに伝えたく思います。
犬山祭保存会長 石田芳弘
犬山祭を愛する祭り人の皆さんへ

犬山祭を愛する祭り人の皆さんへ

今年の犬山祭は中止になりました。

この祭を一年心待ちにしている皆さんにとって
なんとも言えない、
さみしくて残念な思いだと拝察します。
桜咲くうららかな春の日に犬山城と針綱神社を目指して、
城下町に展開される車山と練り物のきらびや
かさやからくり人形の舞が、
お囃子やテコの掛け声とともに春風にはこばれ、
夢の中に入っていくようで、
犬山祭はかけがえのない特別の時間と空間です。
しかし一方、今まさに世界中を覆わんとする
コロナウィルスの拡大も、
地球的規模で全人類未曽有の脅威となりつつあります。
ユネスコの無形文化遺産となった犬山祭には、
2日間でほぼ50万人の観光客が集まりますから、
われわれの地域の問題だけではなくなりました。

ところで、犬山祭は江戸時代まで、
白山針綱大神宮例祭と呼ばれてました。
日本人の信仰の、ふるさとの先祖と山岳信仰が
祭の基盤にあるのです。
車山行事(やまぎょうじ)は中止しますが、
針綱神社での神事は行われます。
神事という精神性は途切れることなく継続し、
パンデミックには科学的に対応したと
二重思考すればいいのではないでしょうか。

そこで、車山行事を中止したこの際、
皆さんで考えていただきたいことがあります。
それはわれわれが毎年犬山祭を続けてきたことによって
故郷のコミュニティが維持されてきたという事実です。
コミュニティは共同体と訳されますが、
地域社会はみんなの助け合い、
支え合いの精神で成り立っているということです。
犬山城下町は近年大勢の観光客でにぎわい、
とてもありがたいことではありますが、
よく観察してみると確実に少子高齢が進んでいますし、
一昔前に比べるとコミュニティ力も低下しています。
この時代の流れを受け、
犬山祭保存会は三年前から一般社団法人になりました。
われわれは各町内会をベースにするものの、
因習にとらわれない祭と犬山を愛する人たちの
広域な仲間集団と考えてよいでしょう。
そしてわれわれのビジョン(理念)に
「コミュニティをつなぐ・ひきつぐ・そだてる」
という旗を掲げました。

結論を言います。
犬山祭をやることはわれわれの目的ではなく
手段と考えたいのです。
目的は、まちづくりを支える
仲間のネットワークをつくることです。
そして、その目的のために犬山祭は他に代えがたい、
最高の手段なのです。
今年の犬山祭は中止になりましたが、
祭を支える皆さんのエネルギーは消さないでください!
パンデミックをねじ伏せ、
いずれこの無念を晴らしてやろうと誓ってください!
コミュニティを持続させるための力を養ってください!

一人でも多くの人に生きる喜びと、
祭の楽しさを味わっていただくためにはどういう
人間関係を築いたらいいのか話し合ってください!

そのためには、地域の人たちを元気づけなければなりません。
子どもを育て、若者を励まし、女性の力を借り、
高齢者や障がい者に気を配り、
われわれのコミュニティをつなぎ・ひきつぎ・そだてる気持ちを持たねばなりません。
わたしたちは、先人からたまわった犬山祭を、
更にブラッシュアップし、
未来の若者たちにプレゼントするために、
今は一度地下水となって潜り、又、
いずれ地表に湧き出ようではありませんか。

犬山祭をテーマに、皆さんの活発な議論を期待します。

犬山祭保存会長 石田芳弘

担い手たち

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